W杯サッカーアジア最終予選観戦記(97年11月16日)

 

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試合当日(11月16日)

 

決戦の日が遂にやってきた。日本からのサポーター・在星邦人でラーキンスタジアムは埋め尽くされた。もうここは日本だ。頑張れニッポン!!!

 

その日我々は昼過ぎにホテルをチェックアウトした。試合開始予定の午後9時まで時間は十分ある。ジョホールバル市内のショッピングセンターで時間を潰す。ブラブラしていると日本代表のユニフォームを着たサポーターがショッピングセンターの中を闊歩している。普段ここで日本人の姿は見た事がない。

決戦に向けより一層日本代表への期待感が高まる。

試合開始4時間前の午後5時、我々は試合会場のラーキンスタジアムに到着した。が、何重もの人の列が既にスタジアム周辺を取り巻いている。人、人、人.....。凄い人だ。ましてその殆どが日本人だ。一瞬、座席が確保できるのか不安になる。取りあえず列の最後尾に並ぶ事にした。

続々と後続の人達が我々の後に並ぶ。大型観光バスも次から次にやって来る。どれもこれも日本代表のユニフォームを着ているサポーター達だ。

午後6時半ようやく開門。というより場外で人がごった返した為、開門を30分早めたらしい。我々はメインスタジアム左手ゴールの真横に陣取る。まずまずの席を確保しホットしたが試合開始まで2時間以上ある。

午後7時、電光掲示板下に陣取る日本代表サポーター ウルトラズニッポンの一団がなにやら大声で歌い出した。歌い終わると同時にサポーター達は体を上下に動かしている。ウェーブだ。そこを起点としたウェーブはスタジアム内を回っている。我々の所はまだ来ない。早く来て欲しいと子供が騒いでいる。来た!。体を思いっきり伸ばし手を挙げる。そのウェーブは一周回った。まだ続いている。三周回ってやっと終わった。

これでスタジアム内が日本人で埋め尽くされている事は裏付けられた。

ドラエモン応援旗がバックスタンドを行く。

 

次になにやら大きな旗が出てきた。その旗にはドラエモンが描かれている。その巨大な旗も観客の中を人の手によって移動している。そして半周回って元の位置に戻っていった。

凄い!。ここはマレーシアである。にもかかわらずスタジアム全体が日本のサポーターで異様な雰囲気だ。その日、ラーキンスタジアムは東京国立競技場と化していたのだ。

 

試合前国歌斉唱

 

午後8時45分日本・イラン両チーム選手がFIFAのファンファーレと共に入場して来た。日本国歌「君が代」斉唱。スタジアム全体が歌っている。大合唱である。さあ!いよいよキックオフだ。

午後9時試合が開始された。大歓声である。いきなり日本のパスをクリアしようとしたイランのディフェンダーがヘディング。なんとそれがオウンゴールとなった。やったー!!!。天地をひっくり返したような大歓声である。あれっ?。得点が電光掲示板に表示されない。

何故だ!。

どうもオフサイドがあったらしい。スタンドにいる我々にはそれがオフサイドらしいとしか解らない。試合は何も無かったかの様に続いている。

そして前半終了間際、中田のスルーパスを受けた中山が見事にゴンゴール。我々のすぐ目の前で中山のガッツポーズ。今ゴールを決めた中山がすぐそこにいる。思わず、なかやま〜と叫ぶ。スタジアムは最高潮に達している。そしてそのまま前半が終了した。

ハーフタイムの間、家内が子供を連れてトイレに立った。が、中々帰ってこない。トイレまでもが人で大混雑していたのだ。通路も身動きが取れない様だった。

後半の開始である。イランが攻め込んでいる。そしてイラン・ダエイのシュートを川口がはじきそれをアジジが押し込んだ。あっさり同点とされる。その直後、イランのセンターリングをダエイが頭で合わせる。2点目。糸も簡単に逆転される。ドーハの悲劇から4年、今日もこれで終わりかという重苦しい雰囲気にスタジアムが包まれた。残り時間もそんなに無い。

帰りのコーズーウェーは込むのかな等と、もう帰りの事が脳裏を横切る。

ところが若き日本の二人の戦士がその雰囲気を打ち破った。中田のクロスを城がヘディングで決めたのだ。起死回生の得点。一気に日本は生き返った。後半30分過ぎの同点。これは行けると言う雰囲気にスタジアムのサポーターは息を吹き返した。

 

延長戦後半開始

 

両チームとも一進一退の攻防の末、後半戦終了。一体この試合はどうなるのかもう予想は出来なくなった。延長戦に突入である。延長は最初に得点した方が勝つと言うVゴール方式で争われる。

延長開始直後たびたびチャンスに日本は恵まれるも尽くゴールをはずす。延長後半、城と相手キーパーが接触した。両者とも起き上がれない。もうこの試合は死闘である。

このままPK戦に持ち込まれる可能性も出てきた。既に時刻は午後11時30分になった。ここに着いて既に6時間30分が経過していたが時間の感覚はこの展開からはそれほど感じない。

そして延長後半終了寸前一人でボールを持込んだ中田のシュートをイラン・ゴールキーパーが弾き、それを岡野が滑り込んでシュート。そして見事にゴールした。

 

W杯決定!選手はピッチで抱き合う。感動の瞬間だ。

 

決まった!。W杯だ!。選手がピッチになだれ込む。抱き合っている。スタンドのあちこちで万歳の合唱だ。歓喜の嵐、まさにそれそのものだ。

帰りのコーズウェーは深夜の大渋滞であった。

が、渋滞のイライラは無い。シンガポール行きの車は殆どが日本人で満足感が顔ににじみ出ている。マレーシア出国に1時間、コーズウェーで一時間を要し、午前2時半に帰宅した。翌朝は月曜日である。当然、普段通り会社・学校に行かなければならない。

疲労感はあったものの満足感がそれを勝っていた。翌日、私と子供たちは元気良く出勤・登校していった。