W杯サッカーアジア最終予選観戦記(97年11月16日)

 

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当地在住の間で最も想い出に残った事の一つ、初のW杯サッカー出場決定の瞬間。我SIMON家はあの瞬間、

ジョホールバル・ラーキンスタジアムの歓喜の中にいた。あの感動を忘れない為にもここに観戦記を掲載致します。

 

試合前日(11月15日)

 

ドーハの悲劇から4年、初のW杯出場を目指し日本代表はマレーシア・ジョホールバルへ戦場を移した。
 

マレーシア・ジョポールバルはシンガポールとの国境の街、車でコーズウェーを越え30分の距離だ。そのジョホールでW杯開催が決定しシンガポールでもそれに対する人気は徐々に過熱して行った。だが、問題があった。1997年9月頃よりマレーシア政府はジョホールの税関検査の強化を図った。

これによりシンガポールからのコーズウェーは2〜3時間もの大渋滞を引き起こす事となったのだ。

運良く最終予選のチケットを入手した我々は当日の移動は日本からのサポーター、在星邦人の大移動からその大渋滞に拍車が掛り到着時間が計算できないと判断。試合前日の15日にホテルを予約しジョホールバルへ入る事とした。

これが入場券だ!

15日午後のシンガポール出国時、若干の渋滞があったもののコーズウェーはスムーズに流れており大幅に予想より早目にマレーシア入国を果たした。このままホテルにチェックインするより、一旦明日の試合会場を視察しておこうとラーキンスタジアムに私は車のハンドルを切った。

スタジアム前には明日のTV中継の放送車が既に駐車されておりスタッフが慌ただしくTVカメラの準備を行っていた。スタジアム脇の通用門からグラウンドの中を覗くとなんと!日本代表が練習をしているではないか!。慌てて家族とスタンドに駆け込むと目の前の光景に私の緊張感は一気に高まった。

練習後サポーターに手を振る北沢

コーナーキックの練習をするカズこと三浦和良、報道陣に囲まれるゴンこと中山雅史、などなど日本代表がそこに居たのだ。その瞬間、私の家内は追っかけに変身しカメラ片手にスタンド上を奔走している。本当は私もそうしたかった。が、子供がいる。子供は呆れている.....。

バスに乗り込むカズ(三浦和)&川口

練習も終わりスタジアム前のバスに選手が乗り込む。日本からのサポーターもかなり到着しておりここぞとばかり各選手に声を掛け明日の勝利信じ激励している。が、私は選手の顔と名前が一致しない。一致したのは三浦和、中山、井原、北沢、川口、呂比須ぐらいだ。後は誰が誰だか解らない。

今をときめく中田も居たはずだ。もう少し予習をしっかりしておくべきだったと多少後悔した。

ドーハの悲劇から四年、日本代表のメンバーは悲願のW杯出場を掛け明日イランと戦う。各選手のその高ぶる気持ちを間近に感じ、我々もホテルへ向かった。さあ、明日は決戦の日だ。